日本における介護の精神の始まり
介護と言う言葉が現在における介抱の意味に近く用いられるまでにはその後、実に70年間ほども待つ必要がありました。介護施設をお探しならここ。具体的には1970年代におこった障害者に対する介護を求める運動がその最初です。それ以前では障害者などは家の中で閉鎖的に面倒を見るものと言うのが一般的な考え方でした。障害が重度の場合等はいわゆる座敷牢などを作って監禁に近い状態で半ば放置されているようなケースすらあったのです。また親や親戚等が面倒を見られない場合には強制的に劣悪な環境の施設に追いやられるというのも良くあることでした。こうした事が背景となって先述の障害者に対する公的な介護を求める運動が発生したのです。
実際にこうした世間の動きを受けて介護人を派遣するようになったのはさらに数年後のことで1980年代半ば以降になるのです。つまり我が国における実際的な介護の歴史と言うのはわずか20年ほどにしかならないのです。しかも当時の介護の現状は惨憺たるものであったと言います。
1997年の介護保険法によって高齢者に対する在宅介護のサービスは定着するように見えたものの、現在にいたってもサービス全体から見た実際の利用者はほんのわずかな数にとどまっています。
2009年11月24日
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介護の精神とはどのようなものか
介護が必要であると言っても何から何まで全てをお世話すると言うのでは、介護する側の負担は想像を絶するものとなりいずれ破綻してしまいます。そのような介護は正しい介護とは言えません。
かといって介護する側の都合だけでお世話をするのも明らかに無意味です。正しい介護とは様々な局面において、生活に不自由をきたした人が必要とする部分だけを適切に補うものでなくてはなりません。またこの際の介護の必要性はあくまでも客観によるべきもので、介護する側の人間の思惑や好き嫌いが反映する余地はまったくありません。
では実際に介護にあたる際に何を基本的な指針として行動すれば良いのでしょうか。介護施設には方法的なマニュアルが用意されている場合も多くありますが、日常の介護の現場では全てがマニュアル通りにできるとは限りません。むしろマニュアルに載っていないことの方が多いのです。またマニュアルがあったとしても分刻みで行われる介護で逐次マニュアルを参照することも実際には不可能です。
こうした場合の介護の精神の基本的な在り方は、「自分が同じ障害者の立場であったらこうして欲しいと思うことをする」と言うのが最もわかりやすいと思います。
どのように困難な介護の局面であっても人間として客観的に問題に対応した時、自ずと取れる方法は限られてきます。そうした場合に最善と思われる方法をためらうことなく選ぶにはそれ相応の訓練や訓練に基づく資格も重要となります。
2009年11月13日
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介護の由来とは
最初に介護の概念が生まれたのは、一見介護とは何の関係もなさそうな社会経済の分野であったと言われています。社会の経済発展によって様々な革新的な技術や発明がなされると同時に、一方では環境汚染や日常の生活における劣悪な条件が年を追うごとに深刻化し、人々や社会はしだいに物質的なものによる豊かさとは別に心身の健全さや快適さを求めるようになりました。→介護付有料老人ホームのご案内。
こうした考え方がしばらくの時間を経た後、医療の現場でも重要視されるようになり、身体の痛みだけではない精神的な痛みや、人としての幸福な生活の意義の在り方が問われるようになりました。こうした動きはしだいに全世界へと広がり、中でも治療による回復が期待できないような終末期医療、いわゆるターミナルケアなどでは特に重要なことであるとして認識されるようになったのです。
近年ではこうした介護の中心が寝たきりの高齢者や心身障害者に対してもその人の生活を援助するものとして福祉の考え方はいっそう定着しつつあります。しかし介護においてはまだまだ論争や改善の余地が多く残されており問題は手つかずのまま放置されている部分さえ見られるほどです。今一度介護の原点に立ち返って見つめ直す必要があると言えそうです。
2009年11月09日
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